突然ですが、みなさんは日本以外の国にも「どこを切っても同じ絵柄が出てくる」製法で作られているキャンディーがあることをご存じでしょうか。

実は、まいあめでもお馴染みのこの「どこを切っても同じ絵柄や文字が出てくる飴」は、日本のみで発展していった技法ではなく、海を渡ったイギリスにも全く同じ製法で作られ、100年以上前から愛され続けている伝統的なキャンディーが存在するのです。
日本から遠く離れたヨーロッパの地で、「熱い飴を色付けして重ね合わせ、細く伸ばして切る」という、私たちが日々作っている伝統的な「組み飴」と全く同じ製法が発展してきたというのは、なんだか不思議でロマンチックだと思いませんか。。。
自称ロマンチストなわたしは、ついついロマンを感じてしまいます。。

なぜ地理的に遠く離れた異なる地域で、これほどまでにそっくりな製法が生まれたのでしょうか。

私はこの疑問にたどり着いた時、生物学における「収斂進化(しゅうれんしんか)」という言葉を思い出しました。今回は、キャンディー作りから見えてくる、少し壮大で不思議な「文化的な収斂進化」と、人間の道具・想いの歴史について、じっくりとお届けしたいと思います。

異なる生き物が同じ姿に行き着く? 環境が導き出す「最適解」

まず「収斂進化(しゅうれんしんか)」とは何かについて、少しだけ・・・
収斂進化とは、全く異なる系統の生き物が、似たような環境や役割に適応しようと進化を続けた結果、最終的に「よく似た形や機能」を獲得する現象のことです。
代表的な例でいうと

  • コウモリとイルカの「エコロケーション」
    空を飛ぶコウモリと、海を泳ぐイルカ。生活圏は全く違いますが、どちらも「暗闇(暗い洞窟や濁った水中)で獲物を探す」という環境に適応するため、自ら音を発してその反響で周囲を知る「エコロケーション(反響定位)」という特殊能力を身につけました。
  • モグラと昆虫のケラ
    哺乳類と昆虫という全く異なる生き物ですが、どちらも「地下の狭い土の中で穴を掘って生活する」という環境に適応した結果、土を掻き出しやすいシャベルのような形をした、非常に似た構造の「前足」を持つようになりました。

彼らは、全く違う進化のルートを辿りながらも、自然界という厳しい環境の中で同じ問題を解決しようとした結果、自然と全く同じ「最適解(デザインや機能のゴール)」にたどり着いたのです。

人間の「道具」がもたらした、文化的な収斂進化

本来、動物が新しい環境に適応して進化するには、遺伝子の突然変異と自然淘汰という、途方もなく長い時間が必要です。しかも、一度その環境に適応してしまうと、そこに依存して生きるしかありません。

しかし、私たち人間は「道具を作り、使う」ことによって、生物進化の厳しい制約から解放された唯一の動物です。人間の道具や技術の進化には、動物のような「遺伝子の変異を必要としない」という決定的な違いがあります。
人間は同じ身体のまま、知恵を絞ることで、世界中のあらゆる環境の悩みに立ち向かいました。

その代表的な例が、私たちが毎日使う「スプーン」です。

全く交わらずに生まれた「共通の道具」

食事の道具の中でも、フォークや箸は特定の地域で発明され、それが交易などを通じて他国へコピーされて広がっていった「文化の伝播(でんぱ)」の側面が強いと言われています。

一方で、スプーンが世界中で作られた背景には、人類共通の切実な課題がありました。それは「熱いスープやドロドロの食べ物を手を汚さず、火傷せずに口に運びたい」というものです。

この課題に対し、人類は「自分の手のひらを丸めて水をすくう動作」を模倣し、「くぼみのある受け皿に、持ち手をつける」という共通の解決策にたどり着きました。 誰かが教えたわけでも、コピーしたわけでもないのに、アメリカ大陸の先住民、ヨーロッパの狩猟民、アジアの農耕民が、身近にある貝殻や木、動物の骨などを使って、全く交わることなく同じ形状の道具へと行き着いたのです。これはまさに「文化的な収斂進化」と言えます。

同じように、「水を運びたい」と思えば運搬用の壺を作り、「海を渡りたい」と思えば船を作り、「寒い」と感じれば服を着るようになりました。世界中で全く交流のなかった人々が、同じ身体構造と環境の悩みに直面し、知恵を絞った結果、別々の場所で自然発生的に似たような機能を持つ道具や形へと行き着いたのです。

若輩ながら昔から世界の民族や民俗学に興味があり、旅行に行けば民族(民俗)博物館に足を運んでしまうわたしにとって、この考えにたどり着いた時、「こ、これはすごい気づきなのでは・・・」と思ってしまいました。

リトルワールド
・・・余談ですが、愛知県でおすすめの場所は「野外民俗博物館リトルワールド」です。
まさに世界の至る所で壺や網、織り物などが同時多発的に発展してきたのを目の当たりにできます。

生存から「精神的な欲求」への進化

話は戻り、さらに人間が面白いのは、生きるための必須条件をクリアした後、今度は「着飾る・美しく見せる」ために、刺繍やアクセサリー、染め物などの装飾技術を生み出していったのです。
「自分を着飾りたい」「美しさを表現したい」という精神的・文化的な欲求から、世界中で同時多発的に刺繍やアクセサリーが発展していったのでした。

1970年の大阪万博で世界中から集められたという膨大な数の民族資料。その数に圧倒されます。

そして、この「美しさを求める欲求」が、お菓子の世界でも収斂進化(しゅうれんしんか)を起こすことになります。

キャンディー作りがたどり着いた「最高に甘い最適解」

ここで、ヨーロッパのキャンディーの歴史に目を向けてみましょう。

「切っても切っても絵柄が出る」西洋のキャンディーのルーツは、19世紀後半(1800年代後半)のイギリスにあります。 当時、イギリスの海辺の、ブラックプールなどのリゾート地では、お土産として文字入りの長い棒飴が作られ、絶大な人気を博していました。これが「ロックキャンディー(Rock candy / Blackpool rock)」と呼ばれるものです。

「飴の中に文字やデザインを仕込み、細く伸ばしてカットする」というイギリスで生まれたこの画期的な技法は、長い歴史とともに、ヨーロッパ大陸へと伝承されていきました。 そして21世紀を迎えた2003年には、スペインのバルセロナにおいて伝統的なロックキャンディーの技法にモダンなデザインセンスを掛け合わせ、スタイリッシュなアートキャンディへと昇華させたキャンディーブランドが誕生しています。

東洋の「組み飴」と、西洋の「ロックキャンディー」が重ね合わせた最適解

では、日本の「組み飴」の歴史はどうでしょうか。

日本の組み飴の起源は、江戸時代中期、おおよそ18世紀初頭(元禄期:1688年〜)にまでさかのぼります。当時、長崎などを通じた砂糖の輸入流通が盛んになったことで、飴づくりの文化が花開きました。大阪で「おたやん(おかめや福助)」の絵柄で始まった組み飴の技術は、江戸へと伝わり、子供たちのヒーローであった「金太郎」の顔をあしらった「金太郎飴®」として広く親しまれるようになりました。※金太郎飴®は株式会社金太郎飴本店の登録商標です

  • 東洋の日本:18世紀初頭(江戸中期)に生まれた「組み飴(元禄飴)」
  • 西洋のイギリス:19世紀後半に生まれた「ロックキャンディ」

当時日本は鎖国体制真っ只中のため、この二つの国の町人レベルの文化が交わるとは考えにくく、「美しいお菓子を作って人を驚かせたい」「大切な誰かにプレゼントして笑顔にしたい」という共通の精神的欲求を抱いた結果、日本の職人も、イギリスの職人も、別々のルートで全く同じ「熱い飴を組み合わせて絵柄を描き、細く伸ばして切る」という奇跡的な同製法にたどり着いたのではないか、と考えています。

これはまさに、人間の情熱と知恵が生み出した、究極の「文化的な収斂進化」にほかならないと思いまして・・・
スプーンが「スープを美味しく飲みたい」という身体的課題から生まれたように、組み飴は「誰かを喜ばせたい」という心の課題から、世界の東西で独立して生まれた「美しい最適解」だったと結論づけたい私です。

想いを届けるコミュニケーションツールとして

国や文化は違えど、人間の「誰かを喜ばせたい」という根源的な想いが、飴というひとつの形に収斂(しゅうれん)していったのだと考えると、胸が熱くなります。

私たち「まいあめ」が作っているのは、ただの甘いお菓子ではありません。ある時は「ありがとう」の文字が入った飴で感謝の気持ちを伝え、またある時は「手洗いうがい」のメッセージを入れて相手の健康を気遣うツールとなります。さらに、離島の特産品(粟国島の塩など)を練り込み、地域のキャラクターをデザインすることで、地元の魅力を発信して観光地を盛り上げるお土産にも変身します。

飴は、人と人とをつなぐ『コミュニケーションのきっかけ』を作ることがとても得意だと再認識しています。

18世紀の日本の職人も、19世紀のイギリスの職人も、そして21世紀のスペインの職人も、日本の職人も。
みんな、誰かの笑顔を思い浮かべながら、100度を超える熱い飴と向き合い、手先を研ぎ澄ませて練り上げてきました。

私たちまいあめも、この素晴らしい伝統技術と、キャンディーに込められた「人を喜ばせる力」を誇りに思い、これからも皆様の想いを形にするオリジナルキャンディーを作り続けていきます。