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福岡 和布刈(めかり)神社での体験

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先日突然思い立ち、福岡までの弾丸旅を決行しました。
中津の屋台、太宰府、九州国立美術館など、初日はいわゆる「観光名所」を訪れ、 2日目には数年前に訪れて以来、お気に入りになった「門司港〜下関間をレンタサイクルでめぐるコース」を追体験。
友人たちと一緒に。という想いもあり、午後から雨予報という絶妙な天気の中、門司港を出発しました。


レンタサイクル


門司を出発し、トロッコ電車を見かけたり、海沿いを走ること数分。素通りしてしまいそうな静かな佇まいの神社が。。
和布刈神社 と書いてあります。「めかり神社」と読むようです。

めかり鳥居

自然とみんなの自転車が吸い込まれていき、参拝することに。
鳥居をくぐって目の前に広がったのは、 関門海峡に向かって鎮座する、古くも美しい社殿。

とんでもないところに来てしまった。。。

海に面してどころか、海に続く鳥居、階段がある。 灯籠は海の中。真上には関門橋。


和布刈神社_灯籠


絶景というか、こんな場所あるんだ!という衝撃と、下調べもせず迷い込んだ神社が、想像を超える景色を持っていたことに感動。社殿裏に回ると、海洋散骨をされた方達の芳名碑が建っていました。海を目前に、いろいろな思いが込み上げる、そんな場所でした。

そしてなにより、 社殿の隣にある、社務所のような黒塗りの建物が気になる。

モダンで、だけど神社の雰囲気にすっと馴染んでいる、不思議な建物。

 
 
 
 
 
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「授与所」
ガラスの大きな扉を進むと、そこは、小上がりの小さな畳の中心に、大きな「石」。
そしてまわりにお守りがそっと並べられた、静かな授与所。
巫女さんに話を伺うと、大きな石は、和布刈神社の御神体である「磐座(いわくら)」が自然に剥がれ落ちた一部だそう。
一般的な神社の、さまざまな色・種類の大量のお守りがずらっと並べられたそれとは全く異なる、非常にミニマルな、まさに「授与品」を授かる空間が広がっていました。

そっと置かれているお守りや御朱印帳はすべて”再生”や”はじまり”を表す「白色」で統一されていて、お守りは2種類のみ。
満珠御守と干珠御守。 和布刈神社の御神宝である満珠と干珠がモチーフにされていました。
満珠(まんじゅ)とは、海に投げ入れると海が満ちるという珠のこと。 干珠(かんじゅ)とは、海に投げ入れると海が干るという珠のこと。
増やしたいこと、叶えたい願いがある場合は満珠御守を、そして、減らしたいこと、断ち切りたいものがある場合は干珠御守を。とてもシンプルかつ、ミニマルな、だれにとってもわかりやすい御守でした。
私たちは、まいあめとして密かに進めている、挑んでいきたい「新しいこと」があったので、満珠御守を賜ることに。

めかりお守り

巫女さんにお渡しすると、御守を前述の磐座の上に乗せ、上から鈴振りの儀式をしてくださいました。
静かな空間に鈴の音だけが響き、とても厳かな、言葉にできない勿体無いほどの体験でした。

 
 
 
 
 
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和布刈神社の御祭神は「瀬織津姫」といって、潮の満ち引きを司る月の神様。
満ち引きを司ることから「導きの神様」と言われ、海を行き交う船、地域の方々の行く道を照らし続けてきたといいます。
「新しいこと」にチャレンジしていく私たちにとって、導きの神様を祀る神社に参拝できたこと、それが図らず、偶然に起こったということに有り難みを感じました。まさに導き、、、
ほくほくした温かい、そして清々しい気持ちで神社を後にし、 この経験の素晴らしさが残っているうちに和布刈神社について調べてみると、さらに驚くことがありました。
授与所や母家の雰囲気から、有名設計士さんに依頼されているのかなと思っていたのですが、「中川政七商店」の工芸再生支援を受けていらっしゃいました。中川政七商店が日本の工芸などのメーカーの再生支援をしていることは知っていましたが、まさか「神社」までとは・・・ かなりの驚きでした。

和布刈神社
画像:和布刈神社ウェブサイトより


全国に8万社あると言われる神社。 全国のコンビニの数が5万超と言われているので、圧倒的に神社の数が多いことが分かります。
宮司さんの数はというと、約2万人。兼務を含めても、人の手が足りていない神社が数万社あるそう。
伊勢神宮や明治神宮、熱田神宮、出雲大社、春日大社など、日本各地からの参拝者が年間数百万人を超える神社とは異なり、お正月の3が日の収益の年間の収益としてほとんど按分している神社が多くあるといいます。
圧倒的に人手不足、資金不足で、この先2050年には3万社の神社が消滅してしまうとも試算されているそう。
普段節目ごとに参拝に行き、5円がないだの10円しかないだのとお賽銭を投げ入れていた私は、神社の収益のことや、全国の神社が存続の危機に面していることなんて、知る由もありませんでした。 ただどうしても「神様」にまつわることなので、収益とか経営とか、あまり考えたこともなかったのですが(みなさんはどうですか? わたしだけでしょうか…?)
考えてみれば、収益がでなければ境内や社殿を美しく保つこともできないし、従事されている方達のお給料も出せないですよね。。。
神社の経営って表には見えないけど、想像以上に深刻なのだと気付かされました。


和布刈神社は 中川政七商店の力を借りて、神社の本来のあるべき姿を取り戻したといいます。
そう思うと、神社にも存続するための収益の仕組み、デザインの力が必要になっているのだと思います。
たくさんの種類のお守りを展開し、いろいろな願い事に応じて提案できるということは、その分お守りを「発注」して、「在庫」を抱えること。
資金面や、倉庫のスペースなどをクリアしないと、不可能です。
お賽銭だけでなく、授与品、祈願などで収益を上げていく必要があることが分かります。

まいあめにも、オリジナルキャンディーをご依頼いただく神社さんが数社あります。
いろいろな条件をクリアし、ご依頼いただいているのだと思うと本当にありがたく、気が引き締まる思いです。

神社がこれからも生き残っていくために、神社の由来や、なりたちをあらためて見直し、形にし、「行ってみたい」と思わせること。
わたしたちのような小さな企業にも当てはまる、とても重要なヒントを得ることができたと思います。
「長く続く=すごいね。守らないとね。」ではないんだな、と最近思います。
もちろん何代にも渡って続いていること、続けていくことは、とても素敵なことだと思います。
だけど、「ただ」続いていくために無理矢理価格を下げる、それは全く意味のないことだと思いますし、従業員も幸せになれません。

会社の経営自体が健康で、適正な価格で取引される=だから続いていく。のだと思います。
10年変えてこなかったから、これからも価格を変えられない。そんな不健康なことはないと思います。

見た目だけで「カワイイ」「おしゃれ」ではなく、本質を深堀りしていくことの大切さを今回の旅で学びました。
なにが「肝」なのか、なにを訴えていきたいのか、そのためにはどういうアプローチ方法があるのか。
同じ飴でも、なぜ「まいあめ」なのか、どうすれば「まいあめ」で作ってみたいと思っていただけるのか。
そこをとことん突き詰める必要があるのではないか、そう思います。